「意味がある」、裁判長の言葉(新聞記事から)
この記事に注目したのは、太宰治の「桜桃」に親が障害の子どもを殺した新聞記事の引用があることを思い出したこと、それと以前から「意味あること」という言葉について考えていたから。「桜桃」は1948年に発表、新聞記事は「唖の次男を斬殺す」、執筆したころに実際に記事があったもの思われる。60年たっても、同様なことがおきている。
2月5日の朝日新聞の記事、以下
長男がダウン症に生まれたことには必ず意味がある。「あなたが生き残ったことにも意味がある」 妻子殺した被告に裁判長 さいたま地裁
重いダウン症の長男(当時27)の将来を悲観した妻(同53)に頼まれ、2人を殺害した夫(57)に対する判決が4日、さいたま地裁であった。死刑を求めた夫に裁判所が出した答えは、懲役7年(求刑同10年)。若園敦雄裁判長は「長男がダウン症を持って生まれてきたことには必ず意味がある。あなたが生き残ったことにも意味がある」と諭した。「なぜ自分だけ残ってしまったのか。死刑にして欲しい」。そう公判で訴えた福島被告は判決後、「残された人生を有意義に生きて欲しい」と裁判長に言われ、「はい」と一礼して法廷を去った。(津阪直樹)
13歳の障害の子が、指先で椅子のビニールレザーを引っ掻いている。その子の耳にレザーを触れる音が伝わり、指先にレザーの感触た伝わっているだろう。夜、眠らずに引っ掻いている。1時間、3時間、引っ掻いている。時々手を止めるが、すぐに引っ掻き始める。その子を見ている者にとっては、その子をケアする者にとっては、困った行動である。明日は宿泊学習の2日目のカリキュラムがある。その子にとっても自分にとっても、眠らないで一夜を明かすことは困ったことである。しかし、その子は「今の音はよかった、次はどのような音がするだろうか」などと評価したり期待したりしながら引っ掻いているのではないか。その時点においては、眠ることよりも大切なこと、その子にとっては意味ある行動なのだろう、と考えながら見ていたことを思い出す。その子にとって「意味」があるのはよい。その子と伴にある者が「意味」あることと思うのはよい。しかし、他者から「意味あること」と言われることは、どのようにとらえるといいのだろうか。「意味あること」ととらえること、それが障害の受容だと思う。「意味あること」と思えるようになってもらいたい。しかし、他者はどのように「意味あること」に、関わることができるのだろうか。


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