黒岩重吾「深い傷」六甲郊外学園のこと、他
黒岩重吾全集第22巻、1984年、中央公論社、内
「小学生浪人」初出1974年
・僕は生まれながらに虚弱体質で、生後二年ぐらいから、二年近く、週に一度、母は僕をつれて回生病院に通ったらしい。
・五年生になった時、虚弱児ばから集めた、六甲の郊外学園に、一年間放り込まれた。この郊外学園は、大阪市が経営していて、六甲山の中腹にあり、学問よりも専ら、健康に重点を置いた教育を行っていた。
22巻の後書き「深い傷」
・私は大阪の小学校五年生の時、虚弱児童というりゆうで、大阪市が経営していた六甲の郊外学園に半年間行かされた。
・その六甲郊外学園は、今度の新住居の近くにあったのだ。
「暗い春の歌」初出1971年
・虚弱体質だった私は、小学校五年の時、私の身体を心配した両親によって、六甲の郊外学園に送られた。そこは虚弱体質の児童ばかりを集めた学園だった。
22巻には、結核の闘病、その他の療養者が登場する短編が多数ある
「北満病棟紀」
軍隊生活中、結核の診断により戦場を離れ、病舎に入る。
「病葉の踊り」
病院で首つり自殺をした男のノートに記されたいたこと。満州第八三七部隊、肺炎で陸軍病院に入る。看護婦の浜谷と関係を持つ。8月10日、ソ連が侵入。復学、商売。大人には珍しい小児麻痺。ベットの上で、丸太ん棒になって丸一年間過ごした。看護婦の岡部、椎香。
「深夜の逃走」
佐々木は精髄癆、腰部の運動神経をスピロヘータにおかされている。
浦上はベンゾール中毒で、両手両足が不自由。
三浦栄は二三才の女教師、分裂病患者。
「春の池」
鈴木恭吉は胸をやられ、二年間病院で療養したが、自宅に戻ってきた。
「ガラスの棺」
矢城が全身麻痺で入院して足掛け三年め。身体が不自由な長期療養患者が集まっている病棟。
黒岩は、結核や運動神経麻痺による療養者をたびたび描いている。
結核療養所内の、患者と看護婦の恋愛・セクシャルな関係が、大江健三郎の「他人の足」、太宰治の「パンドラの匣」に描かれていることを以前に書いたが、黒岩の短編にもたびたび出てくる。


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