もう20年、こんなことを続けている
常盤山林間学校 鎌倉市外深沢村
この一行の記述に出会ったのは一九八八年九月、白十字会林間学校の村島帰之校長が書いた「太陽学校」(一九四三年刊行)で紹介されている全国の養護学校一覧を見た時であった。鎌倉養護学校で教員をしている私は、それ以来「常盤山林間学校」のことが気になって仕方がなかった。昔鎌倉に養護学校があった。それはどこにあったのか。誰が設立したのか。どのような学校であったのか、と。鎌倉市立図書館で調べ、市史編纂事務局に電話し、鎌倉山の林間病院に手紙を書いた。しかし、手がかりはなかった。
一九九二年のある日、出張で鎌倉市立深沢小学校へ行く機会があった。「鎌倉市外深沢村」という記述が思い出され、私は深沢小学校にむかいながら「常盤山林間学校の手がかりが見つかりますように。」と念じていた。深沢小学校の阿久沢栄教頭に常盤山林間学校のことをたずねたら、その場で地区の長老に電話をかけてくださった。しかし手がかりはなかった。私が案内された会議室の本棚には、歴史ある学校らしく古い戦前の教育学の本も並べられていた。その棚に「鎌倉医師会史」(一九六二年)があり、その他数冊の本と共に借りることを阿久沢教頭先生にお願いして持ち帰った。するとその医師会史の年表にあったのである。
「常盤山林間学校 篭山譓」
ここからの調査は意外と早く進んだ。「篭山」という姓が有力な手がかりとなって、翌一九九三年八月には篭山譓の長女野呂小夜子さんにお会いして常盤山林間学校と篭山譓についてお話を聞くことができた。
小夜子さんのお話を聞いて、私は常盤山林間学校と篭山譓について書いてみたいと思うようになった。そして、小夜子さん自身が常盤山林間学校について書くことをおすすめした。常盤山林間学校の子ども達や篭山家の人々の営みをとても生き生きと語られたからである。いくら私が聞き取り調査をして書いても、実際に体験された小夜子さんのように常盤山林間学校のことを書けないと思ったからである。


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