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2008年7月

2008年7月30日 (水)

旅行

7月31日から10日間の旅行に出ます。

旅行先にパソコンがあったらいいのですが、どうでしょうか?

2008年7月29日 (火)

日本育療学会 小規模研修会

2008年10月18日土曜日 午後6時~8時
入場無料 申込不要

テーマ
エドゥアール・セガンによる知的障害教育成立過程と「病弱児施療院」(現:ネッカー子ども病院)内の病弱教育学校
-フランス社会における近代的福祉・医療・教育の成立の側面から-

講師:川口幸宏 
学習院大学 教職課程 教授
研究課題:19世紀から現代に至る、日本、アメリカ、フランスをフィールドにした「生活と教育との結合」の教育史
研究課題に関連する主な著書論文等
『生活綴方研究』単著(白石書店)/『日本現代教育史』共著(新日本出版社)
『教師像の探究』単著(教育史料出版社)/『新教育学講義』編著(八千代出版)
『書くことによる教育の創造』(共訳書、大空社) 他
「19世紀初頭における二つのperfectibiliteについての研究序論」
(学習院大学文学部年報)<近代知的障害教育の成立過程に関わる研究>
Ifhp

「病弱児施療院」1900
現ネッカー子ども病院

 川口氏はこの病院を訪問して聞き取り調査を行い、「セガンのイディオ教育は、歴史過程において、病弱教育とリンクしているという視点を持つ必要があることを理解することができた」(エドゥアール・セガンの半生、2005 私家版)、という。

会場:キャンパス・イノベーションセンター 多目的室3
東京都港区芝浦3-3-6 最寄駅 都営三田線・浅草線三田駅(徒歩5分)
JR山手線・京浜東北線 田町駅(徒歩1分)

2008年7月28日 (月)

映画「ラブソングができるまで」

ラブソングができるまで 監督: マーク・ローレンス
 とても楽しめるラブ・コメ映画である。文学的才能があるが、アルバイト生活のソフィーは、サボテンのトゲを指に刺して仕事を中断してまで病院に行ったり、訪問先の主人のピアノの上に物を乗せてほしくない思いを読みとれなかったり、話しながら植物に水をやると鉢から水が溢れても気づかない。小さなことが気になり、他者の心の理解が難しく、何かに気をとられるとその時までやっていたことを忘れてしまう。ちょっとしたADHD的な女性として表現している。そういった性格だから、学生時代の恋愛がうまくいかず、定職につけないのだろう。しかし、彼女の強みは文学的な表現力であり、それがミュージシャンとの出会いによって高められていく。上品で、良くできたラブ・コメとして楽しめばいい映画だけれど、自分の興味・関心に引きつけて見ると、生きていく上で困難をもっている30歳代の女性が、持っている力を活かしてすばらしい愛と仕事をもって生きていく映画、ということになる。

2008年7月16日 (水)

米谷ふみ子,障害の息子とアメリカで暮らす

米谷ふみ子
□ 遠来の客  1985 新潮社  強度行動障害
アメリカで作家のアルと暮らす道子。次男ケン13歳は自閉症を思わせる脳障害児。身体が道子より大きくなり、施設に入所し、初めての帰宅を迎える。「過越しの祭」内
□過越しの祭  1986 新潮社  強度行動障害  芥川賞
次男のケンは脳障害児。言葉や社会のルールが分からないケンと、ユダヤのルールとヘブライ語が分からないミチ。
□サンデー・ドライブ  2003 集英社  強度行動障害
「遠来の客」の10数年後、毎日曜日にケン(脳障害)がいる州立病院へ行く夫婦。
□米谷ふみ子 タンブルウィード  1986 新潮社  強度行動障害
アメリカで作家のアルと暮らす道子。次男ケン13歳は自閉症を思わせる脳障害児。母を日本から呼び寄せた、「過越しの祭」のその後

2008年7月14日 (月)

結城信一全集 1

流離:康子、あっけなく死にました、肺結核をこじらせたのです
秋祭:この家ははじめ病弱な息子のために十五年ほど前に四百円で買い取った、大学に入ると肺結核になりここで養生
冬隣:根本は、学生時代に腎臓を片方剔出し、間もなく睾丸炎を患って
木蓮:女学校、道子、十年後、洗面器に一杯に喀血
青い水;K村の療養所、細木浩は一年足らずで死んだ

結城の結核療養、英語教師の体験をもとに書かれた小説。

2008年7月11日 (金)

ある「包み込む教育」

・インクルージョンという言葉がまだ日本では聞き慣れない1980年代前半、障害児を普通学級に受け入れて「包み込む教育」と表現した学校があった。その学校の障害児受け入れのスローガンは「同一空間、同一時間、同一教材」であった。障害児も同じ教室で同じ時間割で同じ教科書で学習する、というものである。それは障害児のいるクラス担任がその子用の学習を準備しない、ということであった。障害児にクラスの皆と異なる特別な教育を行う教員に「それはやめましょう」と言う教員集団であった。

・「同一空間、同一時間、同一教材」というスローガンがあることで、教員の力量の違いに関係なく、誰でも障害児を受け入れることができる、との論理であった。

・その小学校の「包み込む教育」は障害児の「場の統合」を実現したが障害児の教育はダンピングされた。その小学校の「包み込む教育」はインクルージョンには発展しなかった。それは何故か。

・しかし普通教育の進め方に何点かの変化をもたらした。評価、クラスを統合した学年での授業、オープンスペースの校舎等。

・インクルージョンの理念とこの「包み込む教育」の比較によって、そこには障害児の学びの要求とクラスの他の子ともにある学びの要求の関連が見い出されていなかったことが指摘できるのではないか。教員の横並びで仕事をする傾向から、将来インクルージョンの名のもとで「同一空間、同一時間、同一教材」的統合教育にとどまり、普通教の中での障害児教育が実現されない可能性も指摘できるのでは、などと考えています。

・地区教育研究集会で毎年発表があったので資料があると思われる。

こんなことも考えてみたいと思っております

2008年7月 4日 (金)

パウロ・コエーリョ ベロニカは死ぬことにした

パウロ・コエーリョ ベロニカは死ぬことにした 2001年 角川書店 

 作者は1947年ブラジル、リオディジャネイロ生まれ。24才のベロニカが睡眠薬自殺、精神病院で意識を回復する。薬の影響で心臓が弱って余命一週間と言われる。注射治療をするがたしかに心臓の動きがおかしい。病院内で出会う人たちとの交流によって、生きていく意志が生まれてくる。実は、意志が実験的に心臓の動きを調節する注射を打ち、死を再認識する中でどう生きるかを考えさせる治療を行い、それが成功する。入院中の3人の患者とベロニカを含めて4人が自分の精神の病を語る。
 作中に作者は、自身が3回精神病院に入院していることを書く章を挿入している。自身の体験を元に書かれたものと推測できる。親との係わり、性的な葛藤が病の背景としてかたられている。

http://members.jcom.home.ne.jp/kiri-n/otonabungaku.htm より

2008年7月 2日 (水)

生成学園尋常小学校

1935年の「精常園教養診療要目一覧」によると、次のように説明している。「診療要目」とあることから、治療の一環として教育活動が企図されていたことが読みとれる。

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生成学園尋常小学校 本学園は別所園長の奉仕事業として設立されたる小学校にして、現代教育の最大欠陥たる徳育意育に主力を注ぎOpen Air Schoolの原理に則した、遵自然の学校生活による健康教育を十全に課し、小数教育によりその教育の徹底を計り、心身溌剌たる健康児童養成を眼目せる小学校である
少年健康学塾 生成学園児童及び中等学生の良習涵養、健康増進を目的とせる学塾にして、学長及学園教員と寝食を共にせる家庭的学塾である
夏季少年林間開放健康学校 心身虚弱なる児童と青年をして山林開放生活に習熟せしめ、経験豊富の指導者と、熟練なる医員を集め、医園と学園の協力により夏季休暇を利用して、健康増進-知育-徳育-意育の完成を期するのである
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2008年7月 1日 (火)

もう20年、こんなことを続けている

常盤山林間学校 鎌倉市外深沢村

 この一行の記述に出会ったのは一九八八年九月、白十字会林間学校の村島帰之校長が書いた「太陽学校」(一九四三年刊行)で紹介されている全国の養護学校一覧を見た時であった。鎌倉養護学校で教員をしている私は、それ以来「常盤山林間学校」のことが気になって仕方がなかった。昔鎌倉に養護学校があった。それはどこにあったのか。誰が設立したのか。どのような学校であったのか、と。鎌倉市立図書館で調べ、市史編纂事務局に電話し、鎌倉山の林間病院に手紙を書いた。しかし、手がかりはなかった。
一九九二年のある日、出張で鎌倉市立深沢小学校へ行く機会があった。「鎌倉市外深沢村」という記述が思い出され、私は深沢小学校にむかいながら「常盤山林間学校の手がかりが見つかりますように。」と念じていた。深沢小学校の阿久沢栄教頭に常盤山林間学校のことをたずねたら、その場で地区の長老に電話をかけてくださった。しかし手がかりはなかった。私が案内された会議室の本棚には、歴史ある学校らしく古い戦前の教育学の本も並べられていた。その棚に「鎌倉医師会史」(一九六二年)があり、その他数冊の本と共に借りることを阿久沢教頭先生にお願いして持ち帰った。するとその医師会史の年表にあったのである。
「常盤山林間学校 篭山譓」
ここからの調査は意外と早く進んだ。「篭山」という姓が有力な手がかりとなって、翌一九九三年八月には篭山譓の長女野呂小夜子さんにお会いして常盤山林間学校と篭山譓についてお話を聞くことができた。

小夜子さんのお話を聞いて、私は常盤山林間学校と篭山譓について書いてみたいと思うようになった。そして、小夜子さん自身が常盤山林間学校について書くことをおすすめした。常盤山林間学校の子ども達や篭山家の人々の営みをとても生き生きと語られたからである。いくら私が聞き取り調査をして書いても、実際に体験された小夜子さんのように常盤山林間学校のことを書けないと思ったからである。

http://members.jcom.home.ne.jp/kiri-n/tokirinkiri.htm より

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