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2008年6月

2008年6月30日 (月)

鎌倉と結核

 鎌倉という地域は、結核と深いつながりがあった土地であった。それはどうしてであったろうか。
 明治期日本の医学教育に大きな影響を与えた東京医学校(現東京大学医学部)の内科教師エルウィン・ベルツは、日記(「ベルツの日記」岩波文庫)に次のような記述をしている。

    明治一三年一一月八日-独りで江島へ行く。(中略)なだらかな丘の背を越すと-数分で七里浜の海岸に出るが、ここは自分にとっては、日本で一番美しい地点である。

 このベルツが鎌倉や湘南地方が結核の療養に適した土地であることを唱え、結核の療養所が数多く建っていった。また結核患者が家や部屋を鎌倉に借りて療養にやって来るということもあったという。明治一九年長与専斉による海浜院、明治三二年中村春次郎による恵風園、大正九年額田豊による額田保養院、昭和八年向山孝之による鎌倉山の林間病院、他多数の結核療養の病院があった。
 さらに、昭和一〇年代の鎌倉には、常盤山林間学校の他二つの虚弱児の学校があった。先に紹介した麹町臨海学園、そして昭和一三年に設立された私立鎌倉学荘である。鎌倉学荘は、内科医額田豊が鎌倉の北部山之内に設立した全寮制の小学校である。結核にかかったり、あるいは先天的にかかりやすい蒲柳の質といった虚弱児を医師と特に密接な連絡を保って学業指導を行い、健康者に成長させようと設立されたものであった。
結核に有効な治療薬がない時代の結核治療は「大気、安静、栄養」と言われたという。その「大気」は空気がきれな所で静養するということであるが、その場所の自然環境と見た景色の美しさが大切で、それがいかにも身体によいというイメージを作り出す。
 ベルツが見た七里ヶ浜からの風景は、太陽に輝く大きな海とその向こうに緑色に大きく見える江ノ島がそびえ、また富士山と伊豆半島が見えて気分がよいものである。気候は東京に比べ暖かく、現在テレビニュースによって東京や横浜で雪が降る映像を見るその時、鎌倉や私が住む茅ヶ崎では雪がないことも多い。また、同じ鎌倉市内でも、海側と内陸部では冬の外気の体感温度に違いを感じるほど、海に近い地域は暖かい。
 風景がよく、温暖で、しかも東京から横須賀線で一時間と少々でやってこれる鎌倉は、東京周辺に生活する者にとって、結核の療養にも子供を預けるにもうってつけの場所であったのである。

http://members.jcom.home.ne.jp/kiri-n/tokirinkiri.htm から、部分

2008年6月29日 (日)

太陽のうた~障害者と共に歩んだ30年~

太陽のうた~障害者と共に歩んだ30年~、三枝義浩「埋もれた楽園」1993年、講談社内
1992年「週間少年マガジン」第28、29号所載
藤岡博昭氏は、1963年に広島県呉市立の中学校の障害児学校の担任となる。岡山県真備町の山里で自立の村=たけのも村作りを始める。藤岡著「やったらできた」講談社、を参考に、三枝氏の取材を元に漫画化した作品である。
経験がない仕事に取り組む時、参考となる実践のない障害児教育に取り組むとき、教師はどのような行動をとるのだろうか。障害児学級ができると、どのような子どもが入ってくるのだろうか。学級の運営が軌道に乗ると、次にはどのようなことが課題となってくるのだろうか。
公教育の中で、教育を仕事としている人が、教育の世界から離れて福祉の仕事をする、そんな生き方を描く漫画である。

「結城信一全集 1 1946~1956」

予定外であったが、図書館へ行く。
「結城信一全集 1 1946~1956」を借りた。解説はない。しかし月報が貼り付けてあり、それに年譜があった。
1916年生まれ、1918年、小児麻痺、左足麻痺となる。その体験は「蛍草」に書き記されているという。同書は芥川賞候補になっているとのこと。
「蛍草」
30ページ読んだ。左足麻痺、ポリオだろうか。自分の姿をつらく思っている青年。父の癌手術、と父の生き方。自分の盲腸手術で、自分の身体に向かい合う。時代が行き来しながら語られていく。

「結城信一の青春」矢部登、帖画舎、1992。こんな本もあるらしい。気になる本である。

2008年6月28日 (土)

カーラの結婚宣言 1999 アメリカ

   知的障害のカーラは、寄宿制特殊学校を卒業して自宅に戻り、職業訓練校に通う。そこでダニーに出会い、恋に落ちる。原題、The Other Sister
  /自立心が強いカーラ。知的障害の娘を受け入れることができないことに悩む母。それだけの話とすれば、テーマとなりえる。しかし設定が、裕福すぎる家庭。歯科医の家庭はあれほど裕福なのか。メイドがいる大きな家、福祉活動をする母。姉妹はそれぞれ、カーラとの関係に苦悩する様子を描いてはいない。アメリカの一つの姿かもしれないが、ギルバートグレプの障害の弟を持つ家族の方が現実感があり、家族の生き方として共感できる。原題の意味を読みとれない。カーラがThe Other Sister?それにしては姉妹の関係の描き方が薄い。

2008年6月26日 (木)

ギルバート・グレイプ ラッセ・ハルストレム監督 アメリカ 1993

  父の死後、過食症になり、動くのも苦労するほど太ってしまった母、知的障害で、若くして死ぬだろうと言われて生きている弟、思春期で扱いにくい妹を抱えて、生まれ育った街から出て行くこともできない主人公ギルバート /田舎町、5人家族を支えるのはギルバート、母は肥満で働けず、弟は知的障害。障害児を持つ貧しい家庭にあって、家族思いのギルバードはどのように生きていけばいいのか。肥満、知的障害の家族を大切に思う心がある青年に必要なのは、仕事と恋人、そして姉と妹がもう少ししっかりとしてくれることだけ。まともな仕事はない。ハンバーガーショップができて、そこの店員になることさえ難しい。アメリカ、それはどういう社会なのか。仕事と恋人、人として普通にあっていいことが実現しない社会。ギルバートは家族を守ったしこれからも守っていく、それは見る者にとって嬉しい光景、でもアメリカには苦悩がある。2007.5.13。

2008年6月17日 (火)

マイ・フレンド・メモリー 監督/ピーター・チェルソム 1998年

   余命わずかな杖をつく少年と体格の良い学習障害の友だち。二人の力を合わせて闘う。原題は"The Mighty"で、身体障害の子どもの妄想を示しているのかな? /以前ケーブルテレビで見たが、今回DVDで2000円ちょっとで店頭で見つけて購入した。少年ケビンはモルキオ病(ムコ多糖症の一種)。友達のマックスは読み書きが苦手な軽度知的障害か、学習障害。二人の友情や、ケビンの生き方、マックスが障害や不幸な環境を乗り越える物語。記憶に残ったこと。①障害があっても体育をさせたい、と母は校長に願い出る②マックスは週末に読み方の授業がある。アメリカ流の個別教育計画なのだろう。教えるのはケビン、先生は最初に顔を出すだけだった。③マックスはここで頑張らなくては特別な学校へ行かされると脅されていた。④母が身体障害の子どもには頭の中の世界しかない、と言っていた。

http://members.jcom.home.ne.jp/kiri-n/eiga.htm より

2008年6月15日 (日)

北の作品と障害者

   北杜夫は一九二七年生まれ、歌人の斉藤茂吉の次男、斉藤家は青山脳病院を営み、子供の頃から精神病者と遊んでいたという。一九五二年東北大学医学部卒、慶応大学病院神経科、山梨県立精神病院、斉藤神経科医院で臨床医として働き、一九六〇年「夜と霧の隅で」で芥川賞を受賞している。北は精神病者、知的障害者が登場する作品を数多く書いている。

◇一九六〇年「夜と霧の隅で」
 ホロコーストとして知られるユダヤ人や障害者を虐殺する計画が、一九四三年南ドイツの精神病院で実行されることになった。不治患者を収容所に移せとのナチスの命令に対し、不治ではないことを示すために「一か八かの博打」と批判される危険な治療を行う医師。ナチスに「生きるに価しない生命」とされた障害者を守ろうと苦悩する。
◇一九六四年「楡家の人々」
 耳の穴から脳を見て診察し、言葉で患者を煙に巻いて治ったと思わせる独特の治療を行う楡脳病院長。病院の少し足りない看護人やせむしの飯炊き人、奇妙な節回しで新聞を読む患者。
◇一九六六年「もぐら」
 精神病院で作業療法としてモグラ退治を行っている。院長はそれを題材に映画を作るという具体的な目標を患者に与え、映像によって自分を外から眺めることで治療効果を意図する。脅迫神経症患者、てんかんのある精神薄弱者、幻聴・幻視のある者、暗殺団に狙われている分裂病患者、碁は強いがぼけている脳梅毒進行麻痺の爺さん。互いに協力、対立しながら監督・カメラマン・役者となる。
◇一九六九年「さびしい王様」
 革命により城から放り出されるが、森で蟻を尾行する自由を幸福と感じる「にぶい脳」の王様。

http://members.jcom.home.ne.jp/kiri-n/kitamorio.htm より

2008年6月11日 (水)

映画「エディット・ピアフ 愛の賛歌」に見る虚弱児

映画「エディット・ピアフ 愛の賛歌」監督:オリヴィエ・ダアン

 日本の大正初期、フランスの子どもの健康状態を知ることができる場面がある。映画は1918年(大正7年)、パリ、3歳のピアフ少女から始まる。ウィキペディアによるとプアフは「3歳から7歳にかけて彼女は角膜炎で目が見えなかった」とのこと、その様子が描かれている。ピアフの頬は、赤くただれている。それがやがて、目の回りまで赤くはれあがり、目が見えなくなる。医師の診断は「元もと身体が弱く、目に出たのでしょう」とのこと。祖母の元で働く娼婦と共にノルマンディーにあるリジューのテレーズの墓に巡礼を行った後、屋外のデッキチェアーで身体を休めていたピアフが、眼帯を取ると、ニッコリと笑い、目が見えるようになっていた。「屋外のデッキチェアー」で休息、というのは、虚弱児の学校でよく見られる風景と同じである。屋外で、外気の下で、太陽の下で、休息することが、子どもの健康にいい、との当時の考えが映画の一場面に示されているように見ることができた。ピアフの視力が回復した、その最初に見たものは、桜のような花と描かれていた。春の到来も描いていた。

2008年6月10日 (火)

漫画から、3作紹介

青木琴美 僕の初恋をキミに捧ぐ 小学館 心臓病 漫画 少女コミック。12歳タクマは心臓病、治療するも20才まで生きられないと知る。幼なじみマユのことが好きだが、やがて死ぬ自分が愛する訳にはいかないと考え、互いの思いがすれ違う。
佐藤 秀峰 ブラックジャックによろしく 3 講談社 ダウン症 漫画 不妊治療、未熟児医療、障害児、追い詰められていく両親。NICU(新生児集中治療室)には苦悩と矛盾が渦巻いていた
戸部 けいこ 光とともに 12―自閉症児を抱えて 秋田書店 自閉症 漫画 自閉症児を育てる家族の物語。巻が進むごとに、光君の様々な困難と成長、周りの者との関係の変化が描かれている。

2008年6月 8日 (日)

曽根富美子「この星のぬくもり 自閉症児のみつめる世界」ベネッセ、1997

取材協力、森口奈緒美(変光星-ある自閉症者の少女期の回想、飛鳥新社)
 自閉症者=森口氏の手記を参考に描かれた漫画である。オッパイの吸い付きが悪い赤ちゃん愛里、その幼児期、小学校、高校までを描く。愛里は幼児期にはしゃべらないが、漫画の吹き出しには、自閉症児がどのように回りの世界を捉えているかが書いてある。自閉症者が見たり聞いたりしている世界、その受け止め方を知ることができる。紹介される絵ピーソードは、他の自閉症児の親の手記や講演で聞いたことがある事項とつながる。
 幼児期、言葉がしゃべれないのにカラスの鳴き真似をする場面、大江健三郎氏の随筆に、息子光君が最初にしゃべった言葉が、鳥の鳴き声を聴いて「これはクイナです」であったこと。自閉症児と鳥の声とは、いろいろエピソードがありそうだ。
 行動訓練で集団行動ができるようになったが、家でパニックになり、その時初めて母の胸の中で泣いた愛里がそれ以降に母を認知し、物を投げることがなくなった場面、Y氏の息子さんが、一人下校の練習で、初めて家まで一人で帰ったそのとたんに大泣きして、それ以降に情緒が豊になったこと。自閉症児はあまり泣かないが、泣くことで情緒さ育つ、あるいは情緒がそだつことで泣くようになる、といったことがあるのかもしれない。
 後半、アスペルガータイプ、高機能自閉症と描かれているが、幼児期・小学校時代はそのようには見えない描き方である。幼児期に言葉がない自閉症児が、成長にともない高機能自閉症となることがあるとの誤解を生まないか、少々心配な気がする描き方となっている。

2008年6月 2日 (月)

川崎市 あおぞら学園

公害と喘息
  一九七〇年代日本の高度経済成長期に、工業地帯川崎市において大気汚染によるぜん息の公害認定患者が千人を超えた。その内子どもが四〇〇人を占めていた。当時の伊藤市長の公害による健康被害の救済策として、市立井田病院に小児ぜん息センターが設置され、そこにあおぞら学園が併設された。井田小学校の分教室、病虚弱児の特殊学級である。重症のぜん息児に健康児と変わりない教育と生活経験をさせつつ最高の治療を施すことが目的であった。

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