夏季林間学校
虚弱児童の夏季林間学校
明治末期から大正期にかけて、日本人の死因が肺炎・気管支炎についで結核が第二位となっていた。当時結核には有効な薬や治療法がなく、結核は治らない恐ろしい病気と考えられていた。そこで結核の予防対策として身体虚児の養護が始まる。夏季に三~四週間環境のよい新鮮な空気の場所で、適当な運動と栄養食物の摂取、学習と楽しい活動を行う「集落」あるいは「コロニー」と呼ぶ取り組みが行われ始めた。イギリスやスイスで盛んに行われていた野外教育の影響を受けてのことであるという。その取り組を、日本では医療面からと教育面から取り上げた。
日本赤十字社は一九一四年に京都支部が天橋立海岸で休暇集落を実施したのが最初で、宮城支部では昌浦田海岸で夏季児童保養所を実施した。日赤のこの取り組みは、一九三〇年には全国で三五カ所に及んだという。
教育面からは、一九一二年に高松市四番町小学校が校医の指導の下に栗林公園で行った
のが最初といわれている。当時全国各地に「教育会」と呼ぶ、教員を中心とした研究会と互助会を兼ねた組織があり、そこが「緑陰学校」「臨海学校」等様々な形の健康教育施設を開催してた。大阪市教育会は、一九一七年に水泳練習会を実施、また寺を宿舎にして「林間学校」を実施した。
これらの取り組みが、後に日赤千葉支部の「富浦海浜学校」や、大阪市の御津小学校の「浜寺林間学校」等郊外学園の開設につながっていくのである。
虚弱児の夏季林間学校の広がり
大正期に始まった夏季林間学校は、健康管理の下で虚弱児が良い環境の中で生活し、運動と学習を行うと、健康の向上に役立つことが、子どもの体重増加のデータをもとに実証した。日赤の夏季保養所は一九三〇年には三五カ所、一九三五年には四六カ所で実施されたという。
虚弱児の保養所は、結核予防対策であった。当時結核による死亡率は地域差があり、石川県は当時日本で最も結核による死亡率が高い県であった。日本赤十字社石川支部が大正期から継続して保養所を開催していた。また石川県女子師範学校や金沢市も夏季林間保養所を実施するなど、多様な取り組みが行われてた。


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