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2008年4月23日 (水)

京都帝国大学医学部「小児科教室附属小学校」

京都帝国大学医学部小児科教室沿革
1897年 京都帝国大学創設
1898年 医科大学付属病院の建築着手
1899年 医科大学開設
1900年 勅令第三二一号を以て医科大学に属
    する講座の種類及其数を定められる。
    医科大学付属医院建築工事落成
1902年 小児科教授、平井毓太郎
1903年 小児科の診療を開始
1905年 看護婦高橋ミチによると「小児科小
    学校」が設立されたとのこと
1908年 医師高崎佐太郎によると「小児科教
    室附属小学校」が起こったとのこと
1911年 5月15日小児科教室及病舎落成
1916年 小児科教室本館焼失
1919年 小児科教室落成
1922年 1月15日皇后陛下小児科行啓、小児
    科小学校を視察
1925年 教授、鈴木正
1926年 日本小児養護協会創立、小児科教室
    内に事務所を置く。小児科教室機関
    誌「乳児学雑誌」創刊
1931年 教授、服部峻治郎
1932年 4月2日教室30周年記念式典開催
      *記念誌内沿革史をもとに作成 

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コメント

京都大学医学部小児科内に明治40年ごろ開設された「小児科教室附属小学校」について、分かっている点を小論にまとめました。これは主に小児科教室の「創立三拾年記念誌」(昭和7年刊)内の記述を元に書きました。京大医学図書館で調査しましたが、「乳児学雑誌」(大正15年より、小児科の紀要)には小児科小学校に関する記述はなく、初代小児科教授平井毓太郎氏のご子息HW氏の「藍より出でて藍より青し 平井毓太郎とその門下達」(平成12年刊)に「八病舎の保養室を教室として読み方、書き方算術などを教えた」という5行の記述(三拾年記念誌と同じ内容)があるだけでした。
 小児科創立30年の昭和7年に小児科小学校があったことは、MM医師の記述から確認できています。「鍼の道」によりますと、TB先生は昭和12年に京大病院で臨床医学を体験されておられます。内科講座のこと、服部小児科のことも書いておられます。TB先生が小児科ポリクリの時に、小児科小学校があったでしょうか?あったらな、どのような場所で、誰がどのような教育を行っていたか教えていただけないでしょうか。「八病舎」とは何科の病舎でしょうか? また、小児科小学校に関する手掛かりなどご存じでしたら教えてください。

京大小児科の入院中の児童に教育を行ったこと
は学内で知られておりました
S12年当時でも行われていたと存じます
しかし詳細は知りませんでした

八病舎というのは小児科病舎で、例えば内科は
6病舎といっておりました
S11年改築でこの名称はなくなりました。

MM先生はS7年卒で7年先輩です
しかし色々親しくさせていただきました

TS先生も歌人で私が傷痍軍人
京都療養所在職中、患者の短歌指導に来られ
ました 又 御子息は三重医大教授で
S18年戦時中、フィリピンの野戦病院で
ご一緒しました

HB先生は、京大の水泳部で、白浜の
サマーハウスの委員をしていた頃、先生のご家族
と親しくなりました

小児科の小学校は正式なものではなく、医員が
教えて上げようという程度のと思われ
ます
従って制度が整ってきてからは自然消滅した
ものと思われます

2006年11月8日
T.B.

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