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2009年12月13日 (日)

別所彰善、コミパ20号「新の健康を目指した精常園を作った男(前編)」

宝塚市のコミュニティー情報誌「コミパ vol.20」が送られてきた。コミパの編集者が「別所彰善」をホームページ検索し、私に問い合わせがあり、写真・資料・先行研究を提供した。資料等をもとに記事を書いてくれました。

「セピア色の写真が語る」「新の健康を目指した精常園を作った男(前編)」

別所彰善とその医院=精常興生院の写真あり。これにより、精常院と別所について、何かしらの新たな情報提供につながることを期待できる。次号で生成学園小学校を取り上げてくれるとのこと。

2009年11月29日 (日)

二十日鼠と人間、スタインベック

二十日鼠と人間、スタインベック、1937年アメリカで出版
自分の農場を持ちたいと夢を持つ小男ジョージ、常にジョージの夢を打ち砕くうすのろの大男レニー。南カリフォルニアの農場を渡り歩く二人の労働者。本文からレニーの行動を拾い上げると、知的障害であることが分かる。いずれ紹介することにしよう。なぜジョージは知的障害のレニーと行動を共にしたのか、そして、なぜレニーを撃ち殺したのか。

2009年11月23日 (月)

太宰治「薄明」

太宰治「薄明」昭和22年12月
昭和20年、長女は5歳、長男は2歳
甲府の空襲の10日ほど前から「二人そろって眼を悪くして医者にかよっていた」
空襲の2、3日前から上の女の子は「完全な失明状態」
県立病院が郊外に移転、「その病院にかよって二日目の午後に眼があいた」

映画「ヴィヨンの妻」プログラム 2009年10月10日  P14
津島園子「父、太宰治と母の記憶」
「薄明」私が結膜炎にかかって目が見えなくなってしまったんです。その時の話なのですが

最近の新聞切り抜き から 病弱教育史につながるもの

最近の新聞切り抜き(朝日新聞)
2009年
11月21日(土)
虚弱児と言われた私 98歳・私の証 あるがまゝ行く 日野原重明
11月15日(日)
臓器移植の普及を訴える元難病の双子 ひと イサベル、アナベル・ステンツェル
11月5日
自分のお尻 ふくように 排泄と尊厳8 人脈記 小山内美智子
10月26日(月)
スーダンで医療活動する元大使館医務官 ひと 川原尚行
10月21日(水)
子どものホスピスをつくった英国人シスター ひと フランシス・ドミニカ

2009年11月16日 (月)

潜水服と蝶 20万回の瞬きで綴られた真実

ドキュメンタリー
潜水服と蝶 20万回の瞬きで綴られた真実
1997年 フランス チャンネル2製作
脳卒中で動けずしゃべれない状態を潜水服を着て水中の作業を行う不自由さに見立て、しかし思い出や想像で蝶のように自由に思い巡らすことができること、が題名になっている。
フランスの女性誌エルの編集長のジャン・ドミニク・ホビーの実際の闘病の姿を追うドキュメンタリーである。映画「潜水服は蝶の夢を見る」を見たことがある。原作「潜水服は蝶の夢を見る」を読んだことがある。映画、原作の記憶の断片が、このドキュメンタリーに真実として出てくる。振り返ると、いったいどれが真実で、どこが映画だったか分からなくなる。このドキュメントが、映画の「絵コンテ」に相当する役割となったのだろう。理学療法士、聴覚言語士、医師、看護士、介護士、運動療法士が登場する。かつて結核の子どもの病院であり学校であったフランス北部、ベルクの海軍病院が出てくる。妻、3人の子どもたちが出てくる。しゃべれないジャン・D・ホビーが、このドキュメントのシナリオを書いているのか。
ケーブルテレビで録画、ノイズが入ってしまって残念。

2009年11月 5日 (木)

RISE UP 中島良監督

RISE UP 中島良監督 
ひき逃げ事故で失明した少女レイ、ある日高校生の航に出会う。失明によるショックから立ち直るきっかけを探そうとするレイ。しかし二人には残酷な過去が。

松本定雄「こころが満たされたとき子どもは変わる」学事出版、平成6年
千代田区立鎌倉臨海学校園長、5年半。そこでの出来事、子どものこと。

2009年11月 1日 (日)

「猫と車イス 思い出の仁木悦子」後藤安彦、1992、早川書房

仁木は1928年生まれ、4歳で胸椎カリエスと診断、両下肢が麻痺し歩行不能に。学校教育を受けることなく、兄の教育により高等女学校と同等の学力を得る。1957年「猫は知っていた」で江戸川乱歩賞を受賞。
50頁読む。学校教育を受けない中で、いかに学んだか。障害と生活規制、その中での教育、そして自己教育力。一冊の本の中にそのようなテーマが見える。
また。世に出ていない「障害と文学」として「あおい壁」、この中編は全集にも収められていないとのこと。埋もれており、発掘すべき作品かもしれない。

「あおい壁」、『母の友』に1961年の後半から翌年前半にかけて連載
峰男4歳、胸椎カリエスの発症の経緯が、自身の経験・思い出をもとに描かれている。
転び、やがて足の感覚がなくなる。

2009年10月15日 (木)

「わんぱく らくだ君」臨海学校参加の記録、1936年

「わんぱく らくだ君」たけだ まこと、講談社、1984年
武田専は1923年生まれ、昭和11年夏、臨海学校に参加した。千葉県のこぢんまりした海水浴場、寺が宿舎。臨海学校は「生徒たちに泳ぎを教えるのが目的」(p227)とのことである。そこに虚弱児や衛生の言葉はない。

昭和初期の臨海学校の実態を知る貴重な記録である。

2009年10月10日 (土)

文学に見る障害者像 太宰治 桜桃

作中の「痩せこけた子」は太宰の実際のダウン症の長男をモデルにしている。障害に立ち向かうことを避ける親の心情と子どもとの生活の喜びを描いている。社会的支援があったなら、自死に至らなかったのではないか、と論じた。

ノーマライゼーション、第29巻第10号、日本障害者リハビリテーション協会

平成21年10月

http://members.jcom.home.ne.jp/kiri-n/dazai.htm

2009年9月27日 (日)

長瀬又男 自閉症との出会い 1991 ぶどう社、九大小児科遠城寺教授との関係の発見

神田麻希子 神様、私をもっと生きさせて! K 小児がんと闘った青春期4年間の命の詩 2006 こう書房 ユーイング肉腫(仙骨) 本人 1980年生まれ、高校2年左足つけ根の痛み。国立がんセンター中央病院入院、都立墨東養護学校院内学級いるか分教室後頭部転校、卒業、筑波女子大学入学2002亡

谺雄二 知らなかったあなたへ K ハンセン病訴訟までの長い旅 2001 ポプラ社 ハンセン病 本人 1932年生まれ、1939年多磨全生園入所。「勉強を教える学園がった」77頁
林光子 茜色のメモリー K  2004 新風舎 肋膜炎 本人 1927年生まれ、女学校3年で肋膜炎、闘病。

先天性四肢障害児父母の会 わたしの体ぜんぶだいすき K  2003 三省堂 先天性四肢障害 本人 子どもたちの作文、写真、4コマまんが

白井典子 典子44歳、いま、伝えたい K 「典子は、今」あれから25年 2006 光文社 サリドマイド禍 本人 1962年生まれ、1981年映画化。2006年熊本市役所退職、事務所設立

今井広美 友輝へ K お願い、ママにキスして 2008 竹書房 拡張型心筋症 母 1999年生まれ、東京女子医大、渡米、心臓移植

マーサ・ベック あたなを産んでよかった K  2000 扶桑社 ダウン症 母 おなかの赤ちゃんに障害があると分かった時、若い夫婦は

杉森津久美 翼は翼なんだから K  2005 日本テレビ放送網株式会社 ダウン症 母 次男翼、ドラマ「たったひとつのたからもの」出演。入学まで

長瀬又男 自閉症との出会い K  1991 ぶどう社 自閉症 医師 1921年生まれ、1947年九大遠城寺のもとで小児科医、1971年賀川学園設立

«痴呆症が現れた女性と夫との恋の歌?山本潤子、スターライトアゲイン

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