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2012年5月28日 (月)

すべての小さきもののために、ウォーカー・ハミルトン

河出書房新社、2004年
ボビーは幼い頃に交通事故で成長が遅れ、31歳だが子どものよう。考えるのがにがて身体がちいさい。継父の虐待、家出、ボビーを支える大人サマーズさんとの出会い、仕事との出会い。
仕事は、死んだ小動物を土にうめること。報酬はない。
車に惹かれて命を落とす小動物を埋葬する仕事を行いながら、悪い行いを行う人間を殺害するサマーズさん。障害のボビーを助ける。その矛盾。
この物語を元に映画が作られているという。「コーンウォールの森へ」、どのような映画になっているか。そして、ボビーの障害をどのように描いているか。

2012年5月21日 (月)

中山可穂、弱法師(よろぼし)

ポール・オースター「ミスター・ヴァーディゴ」新潮文庫
クル病の青年イソップが登場する。しかし、この物語はいったい何なのか分からず全412ページの内170ページで読むのをやめることにする。

中山可穂、弱法師(よろぼし)、2004年刊
脳腫瘍の少年と母、継父。アマゾンの書評には恋愛小説として評価が高いようだが、現実味のない病と生活の設定、短編の中での継父の女性関係、構成された少年のメル友との関係性、いずれもヘンテコ。単に、恋愛と少々のセックス描写のある読み物の中に、難病の少年が取り込まれた、ということか。脳腫瘍の病状が進み、目が見えなくなった少年のメル友は聴覚障害の女性。これらの設定で、恋愛物に深みをもたらすのか。

2012年5月13日 (日)

バーナード・マラマッド、白痴が先 diot First

バーナード・マラマッド「喋る馬」柴田元幸訳、スイッチ・パブリッシング内
白痴が先、17ページの短編、原題  Idiot First
死期間近の父親メンデルが、知的障害の息子アイザックを、カリフォルニアの叔父の所に行かせるために、電車賃が後35ドル足りない。
メンデルはこの町で死ぬので、アイザックだけを電車に乗せたい。
アメリカ社会で生きるユダヤ人で、貧困で、知的障害の子どもを持って生活することを、死期の一夜を切り取って描いた短編。
題名は、知的障害者を大切にしようという意味の Idiot First を、アメリカ社会を皮肉的に表現したものであろう。
ギンズバーグという男が出てくるが、それが何を意味しているか、多くを説明していない。想像するしかない。答えはない。

2012年5月11日 (金)

セバスチャン、松浦理英子

セバスチャン、松浦理英子、河出文庫

 主人公は麻希子21歳、大学を2年で中退してイラストで生活。同級生の背理という名前の女性と「主従関係」にあり、それを望み、背理を愛している。背理は麻希子に理不尽な関わりをする。工也は小児麻痺で左足が不自由な年下の青年、なりたくて小児麻痺になったと言う。麻希子は工也を好きになる。登場人物が語る内容が、実感できないし、感覚でも理解できない。読みにくく、読後感は良くない。自分が考えたことのない発想の会話ばかりであるためか。
 しかし、小児麻痺の青年が登場する小説として読むと、いろいろ面白い点が多数ある。
 作者松浦理英子は1958年生まれ、「セバスチャン」1981年の作、作者23歳の時。女であること、大人の女になること、社会的に女になること等々、女性であることに関わる疑問を持った作者の、女性であることを問う小説である。その小説に、なぜ小児麻痺の青年を登場させる必要があったのか。男女の差の一つは「力」。物理的に発する力。片足が不自由という機能障害を持つ男性は、性に疑問や懐疑を持つ女性にとっては、「力」の差を感じさせない、通常の男性とは違う人間性を感じとった、と読める。
 この小説の工也と同じ障害を持った人が読んだとき、どう感じるかを想像する必要がある。文学作品を鑑賞するという極めて感覚的・心理的な活動の結果、障害を持つことの理解を深め、障害者差別の解消に向かうことになったどうか。表面的にきれいな障害者の描き方がされている小説は、そういったことを論じるのが難しい(こういった作品こそ評論が必要なのだが)。しかし、この「セバスチャン」は、美しい話ではないため、種々問題を論じやすいテキストとなり得る。
 人が成長すること、社会の影響を受けることと個人の関係、性差、女性性、セクシャリティーとセックスを、このような観点で考えている人がいることに驚くのだが、自分が世間知らず、幼稚な故か。まして、同年代の者が、同時代に考えていたとは。

2012年4月27日 (金)

大崎善生、優しい子よ、ポプラ社 初出2004年

大崎善生、優しい子よ、ポプラ社 初出2004年
 白血病、末期を迎えた茂樹の最後の3ヶ月。茂樹を支え、治療の希望、生きる希望となったのは、女流棋士高橋和の存在であった。また、高橋とその夫を人生の転機となったのが茂樹であった。治療が困難な難病に於いて、その人の力になるものは好きなこと、茂樹にとっては「将棋、高橋棋士」である。茂樹の死後の両親のその後がとても悲しい。もちろん、茂樹の闘病や死も悲しいが。

2012年4月20日 (金)

最近の朝日新聞から

◇私の視点 障害児の育児 地域とつなげて孤独防げ
 「通常の行政の子育て支援から除外されていると、何度も痛感してきた」
 →これは「除外する」ことが、法制度の中に明示されているのではなく、親がそう感じているということである。
  除外していると感じる現実があることを、行政や研究者がどう考えるか。
◇「ユーザー視点」の橋下教育改革 中 目指すは競争社会を生きる力
 「無条件に進級させていくのも問題だと思う」
 →落第があった時代から、落第のない時代に変わった歴史がある。障害児教育研究から何を言えるか。
◇時事小言 「まだ見えぬもの」を考える 藤原帰一
 考えること、「本質的に反時代的・反社会的な行為」

2012年4月15日 (日)

ドリス・レッシング 「五番目の子供」

映画 オレンジと太陽、ジム・ローチ監督
イギリスの政策で、児童養護施設の幼い子どもたちがオーストラリアに移民として送られていた。

4月14日(土) 朝日新聞
発達障害児ら専門に教育・湘南ライナス 経営批判・生徒減で閉校

水城せとな、放課後保健室①、秋田書店、平成17年
日生マユ、放課後カルテ1、講談社、2012年

謡曲、桜川
落語『一眼国』
井原西鶴、好色五人女 お夏
島崎藤村、夜明け前
菊池寛、忠直行状記、屋上の狂人
小林美代子、髪の花、昭和46年
D・レッシング、地獄への降下命令、狂者の内面

ドリス・レッシング 「五番目の子供」(邦訳名「破壊者ベンの誕生」)1988年
1973年、五番目の子供が生まれる。人間離れのした、北欧神話に現れる怪物か小鬼のような、身の毛もよだつ醜悪な奇形児で、奇形児だけを収容する施設に隔離される。

H.G.ウェルズ(阿部 知二訳)『盲人の国』(『ウェルズSF傑作集2 世界最終戦争の夢』所収、創元文庫、1970)

2012年3月 4日 (日)

京都府盲聾教育百年史

京都府盲聾教育百年史、京都府教育委員会、昭和53年
盲学校、聾学校で学び、課程を履修したことが義務教育修了にあたるかどうかを示す
資料や記述がないか、見た。
p303~
卒業証書の書式が図で示されているが、尋常小学校教科の卒業に関する記載はない
盲聾教育においては、大正12年に、尋常小学校と同等になる。それ以降は、特に但
し書きがなくても「同等」なのだらから、記載がないことを理解できる。ただし、それ
以前はどうなの

2012年2月29日 (水)

ひばりが丘学園の草創期と菅修先生の見識

ひばりが丘学園の草創期と菅修先生の見識、岡本忠之
「かざぐるま」神奈川県保健福祉局福祉・次世代育成部障害福祉課、2012年2月1日

2012年2月27日 (月)

北杜夫「どくとるマンボウ回想録」

◇北杜夫「どくとるマンボウ回想録」日本経済新聞社、2007年 New
北、1927年5月1日生まれ
p38、小学校に入るか入らぬかの頃に疫痢をやった。このときは意識が混濁してしまい、よく覚えていない。何でも熱が四十度をこしたという。
p40、風邪をひくと、よく扁桃腺が腫れた。小学校の終わりの頃、手術をしてこれを取った。
   中学三年のときにジフテリアにかかったことがある。
p41、小学校五年の三学期の初め、私は急性腎炎を病んだ。腎臓病には長い休養が必要であった。

北杜夫「どくとるマンボウ回想録」、朝の通勤電車内で残り40ページ、読了。混雑する中、喉の奥から声・音を出して笑ってしまった。帰宅電車内、何処で笑ったか見直しても、何処だか分からない。巻末に北の年代順著作目録あり。1977年刊「さびしい姫君」依頼ずっと北の本を読んでいなかったことが分かった。「遙かな国 遠い国」を論じるために2007年に買って読んだ「マンボウ医局記」1993年刊までの約30年間、北の本を読んでいなかったことになる。
北は「どくとるマンボウ回想録」の中で、同じことを繰り返して書いている。北独特の表現方法か、またはおとぼけか、本当のぼけか?受験勉強中に買った(と思う)「さびしい姫君」以来の北の本。

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